看護師・准看護師の求人募集転職採用情報ネットナビ&全国プチ情報: 05看護師の歴史と経過アーカイブ

<<<看護師求人募集転職情報トップページはこちら

05看護師の歴史と経過の最近のブログ記事

看護師の本質の始まり

 看護師の歴史の始まりは、人間の日常生活における人間らしい行動から始まったといえます。つまり、人間社会を取り巻く環境としては、現在と同じように、昔であっても病気や怪我をしたり、障害を持ったりした人は存在していました。そのような中で、女性が子供を産み育み、子供は1人では生きていくことができないので両親が子供を養育し、さらには、元気なものが弱ったお年寄りをいたわるといったことや、人同士がいたわり助け合うという、ごく基本的な人間らしい考えや行動が基本になっています。こうした行為が、その対象を肉親だけにとどまらず、さらに広がりを見せ他人の世話へと変わっていったのが看護の起源です。

看護師の歴史の始まり

 中世のヨーロッパでは、慈しみの心を持つキリスト教を基盤とした修道院が数多くありました。こうした修道院においては、貧しい人や病人、老人などといった介護や介助が必要な人を収容しており、その世話していたのは修道院の女性達です。この時代においては、看護という行為は宗教的な心から生み出される行動の一つと考えられていました。しかし、時代を経ることによって、こうした行為がフローレンス・ナイチンゲールによって、宗教と看護はまったく別のものとして定義され、近代的な看護として定着し、看護師の歴史は始まりました。

看護師とナイチンゲール

 フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日生~1910年8月13日没)は、イタリアのフィレンツェで生まれたイギリス人の看護婦、統計学者、看護教育学者で、近代看護教育の生みの親といわれている人です。ナイチンゲールは、看護師としても活躍していましたが、それ以外にも病院建築においても、非凡な才能を発揮していました。その反面、ナイチンゲールは赤十字活動にはまったくかかわっておらず、それどころかボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していました。これには、マザー・テレサの考え方と同様に、「構成員の自己犠牲のみに頼る看護の援助活動は決して長続きしない。」、「構成員の奉仕の精神にも頼るが、経済的援助なしにはそれも無力である。」と考えていたからといわれています。

我が国の看護師制度の始まり

看護師の大きな個人差

 我が国における看護師制度の歴史の始まりは、明治時代に医制と呼ばれる法律が施行されて、医者の開業医制度が新たに始まりました。開業医の医師を補助する者として勤務する者の位置づけが看護師であり、これが日本における看護師の始まりとなります。しかし、この時代における明治時代の看護師は、現在のように看護師としての教育制度が整っていなかったことから、正式な看護教育をまったくといっていいほど受けてはいなかったのが現状でした。このため、最低ラインの看護の方法もできる人やできない人もいるなどまちまちで、看護師によって看護の知識や処置の個人差が大きすぎて、医療現場においても大きな混乱を生じていました。

看護師の教育のために

 こうした現状を見かねた高木兼寛は、これを打破するため、イギリスに留学して西洋医学を深く学びました。そして、日本における看護のレベルをしっかりと確立したものとするため、国内にも看護師の教育養成学校を設立することを考えて、イギリスのロンドンにあるセント・トーマス病院内のフローレンス・ナイチンゲール女史の創設した看護婦養成所を見習うこととしました。その後、高木兼寛はアメリカ人宣教師であるリード女史の力を借りる中で、明治18年4月になって有志共立東京病院内(現在の東京慈恵会病院)に、看護師を養成するための看護教育所を日本で初めて設立しました。現代の看護師の歴史はここに第一歩を踏み出したのです。日本の医学の歴史の中でも、高木兼寛は日本の医学界に多大に貢献をした人で、国内で最初の医学博士の学位を授与された人でもありました。

看護師と戦争と戦後

看護師受難の時代

 明治時代以降、日本においては、医療分野の拡大に併せて次々と看護学校や看護養成所が設立されました。しかし、女性は専業主婦や畑で働くのが当然とされていた時代において、当時の看護師に対する評価は職業婦人ということでかなり低く、看護師のなり手が少なかったことから、看護師学校が閉鎖に追い込まれたりする学校も後を絶たない状況にありました。

戦争と看護師

 しかし、やがて日清戦争や日露戦争が始まる時代になると、日本赤十字社が結成した日赤看護師が国内の軍の病院勤務で戦時の救護に精力的に従事しました。この時の日赤看護師の働きは目覚しく、この戦争の開戦をきっかけとして女性の看護師に対する世間の見方が大きく変化していきました。その後、日中戦争が開戦すると、本格的に日赤看護師の活動が始まり、従軍看護師として戦地へも派遣されることになりました。

看護師と第二次世界大戦

 当時では、日本赤十字社の看護師は看護師の養成所を卒業してから、その後20年間は戦地へ召集される義務を負っていたため、国から召集令状が来ると男性のように戦地へ出征しなければいけませんでした。先の第二次世界大戦においては、日本赤十字社は約3万人にものぼる戦時救護看護師を戦地に派遣しました。戦時下にあっても赤十字は攻撃しないという決まりはありましたが、それでも看護師の戦死者は1,143人で、負傷者は4,689人にもなりました。

看護師の地位向上

 第二次世界大戦敗戦後は、GHQの指導の下、アメリカ軍の看護師によって看護教育が行われるようになりました。アメリカの看護師による教育は、医師と看護師は仕事の内容は異なるものの、その立場は対等であるとの考えであったことため、それまで、看護師は医師の単なるお手伝いと考えられていたものから一変して、看護師の立場は大きく向上し、変化を遂げることになりました。

戦後と看護師

 戦後すぐの昭和21年になると、現在の日本看護協会の始まりとなる日本産婆看護師保健師協会が設立されました。その後、昭和23年には、保健師助産師看護師法が制定され、看護師資格は国家試験導入による国家資格と認められ、昭和25年には第1回目となる看護師の国家試験が実施されました。当時は看護師がかなり不足していたことから、国家試験による正看護師だけでなく、都道府県知事による准看護師という看護師をお手伝いする資格ができたのも昭和26年のことです。

1

看護師・准看護師の求人募集転職採用情報ネットナビカテゴリ

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち05看護師の歴史と経過カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは04看護師の仕事です。

次のカテゴリは06看護師関連団体です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。