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更新November 21(Sat), 2009

リサイクルショップの家具の高価買取

 質のよい中古家具オフィス家具というものは、長い間使用することが可能であり、こうした中古家具が不必要になった場合には、リサイクルショップなどで比較的高価買取され、中古家具として再度販売されている現状にあります。あなたは、家具をもう使わないからといって、あるいは、家具の買い替えのときなどに、不要となった中古家具を大型ゴミなどで有料で捨てていませんか。中古家具を捨ててしまうことは、とてももったいないことです。使わなくなったり、古くなったりした家具でも品質のよい中古家具は、かなり高価で買取してもらえます。少々傷のある中古家具であっても、品質のよい中古家具は買取ったリサイクルショップでリペアするので何の問題もありません。ただ、中古家具の修理に時間を要する分、買取価格は安くなります。特に、アンティーク家具については、リサイクルショップによっては、驚くほどの値段で高価買取してもらえる場合があります。一方、リサイクルショップによる家具の買取については、合板などでできた安物の家具は、よほど美品でない限り買取ってもらうことはできません。

家具の高価買取リサイクルは環境に優しい

 中古家具も捨ててしまえば、ただのゴミになってしまうので、焼却炉で燃やされてしまい、その家具としての使命を終えてしまいます。中古家具の買取によるリサイクルは、地球環境の面から見てもゴミの減量に資することになるなど3R運動にも寄与するものになります。また、中古家具の買取によるリサイクルは、少しは新しい家具の買い替えや引越費用の足しになるかもしれませんし、中古となった家具でも製造メーカーによっては高価で買い取ってもらうこともできます。このように、リサイクルショップに買取ってもらうと、愛着のあった中古家具が高価で買い取ってもらえるうえ、プロの手によって中古家具が新品家具のように鮮やかに再生され、それが格安で販売されることによって、新しい家庭の部屋の中で再度家具としての役目を果たすので、その中古家具としても望むところだといえます。また、リサイクルショップにおいて、中古家具はかなり安く購入できるので人気があります。一流メーカーや材質・品質のいい中古家具であっても、かなり割安な価格で手に入れることができるからです。

自治体による中古家具の回収とリサイクル

 最近では、市町村などの地方自治体で中古家具リサイクルを行うケースが増えています。中古家具のリサイクルショップと違って、さすがに高価買取ということはしていませんが、有料の大型ゴミとして各家庭から回収してきた中古家具を清掃したり、少し手を入れたりして、リサイクルされた中古家具を希望する住民に上げるというものです。こうした市町村のリサイクル中古家具の中には、人気が集中することによって、抽選になるようなケースも結構あるようです。

中古家具のリサイクル展示

 某市役所のごみ収集部門のリサイクル中古家具が展示されている所の見学に行くと、きっと驚かれるはずです。ごみとして回収され、リサイクルされた中古家具やソファー、テーブルなどがまるで家具屋さんのように綺麗に配置されているのです。展示されているどの中古家具も、うちの家の家具より綺麗で上等と思う人もたくさんいるはずです。もっとも、市町村が収集してきた中古家具の中から「まだ使える」、「綺麗だ」と思える一部の家具だけに限定して丁寧に掃除や修理などのリサイクルしているからです。収集してきた大半の残りの汚い中古家具や壊れて修理ができない中古家具は破砕して焼却炉で焼却しているそうです。

リサイクルショップの中古家具の高価買取

 引越や家具の買い替えとか、いろいろな事情があるにしても、まだまだ使える中古家具を自治体の大型ゴミとして有料で回収してもらうのはもったいないことです。もっとも、中古家具を大型ゴミとして自治体に有料で回収してもらうことは、適正なゴミ処理の方法には違いないことです。しかし、まだまだ使えそうな中古家具であれば、ゴミとして出す前に一度、中古家具を買取回収しているリサイクルショップの業者に買取価格の見積をもらってみてください。自分ではゴミと思っていた中古家具に、思ってもみないような高価な買取価格がつくことも珍しいことではありません。

桐箪笥の家具のリサイクル

 桐箪笥といえば、削り直しで長年にわたって使えるという古くからリサイクルの代名詞となっていました。また、家具の中でも桐箪笥は販売価格が高い高級家具の代名詞にもなっており、中古で買取る際にも高価買取されています。古くには、女の赤ちゃんが誕生すると桐を植え、結婚する際にはそのキリで箪笥を作り、嫁入り道具にするという言い伝えがありました。桐は成長が早いため、ほんの何十年かで家具にまでできるのです。しかし、実際には、いくら桐の木の成長が早いといっても、結婚の時期までに箪笥を作れるほどまでには大きくはなりませんでした。それほど、桐の木は成長が早いという物の例えと言えます。また、桐箪笥は燃えにくいため、江戸時代には、桐箪笥の中に入っていた着物が火事にあっても燃えずに残っていたという事例もあります。

高級家具桐たんすの細かいリサイクル

 桐たんすは、他の素材でできた家具とは異なりかなり高価な家具ですが、その一方で、何百年にもわたって使用することができる唯一の家具といえます。古くなって日に焼けるなどして、くすんでしまった桐たんすであっても、削り直しをすることによって何度も新品同様の明るい表面にリサイクル・リフォームできるからです。桐たんすの削り直しの手法としては 単に桐たんすの家具の表面を削るということだけではなく、板の割れ目や隙間を埋めるなど細かく家具のいろいろなところを修理補修し、色付け、金具付けがなされていくのです。

桐タンスの家具リサイクルショップによる高価買取

 最初に購入するときに高価な家具であっても、一代で終わることはなく、子や孫の時代まで長く使い続けることができる家具として、桐タンスは、古来からのもったいない精神を発揮したリサイクル可能な家具といえます。いつの時代であっても、桐タンスは、リサイクルショップなど家具を取り扱っている店で高価買取される数少ない家具の一つでもあります。

リサイクルショップで高価買取される家具・されない家具

 上質な家具は中古品であってもリサイクルショップ高価買取されることがあります。家具の定義としては、家の中に置いて利用する家財道具のうち、比較的大型の道具類や元々家に作り付けられている大型の道具類のことを指します。建築基準法上は、作り付け家具は、新築時の建築確認及び完了検査の対象となりますが、後から置かれる家具については対象外となります。基本的に作り付け家具は、リサイクルショップで高価買取されることはありません。また、合板でできている安物の家具も、リサイクルショップで高価買取されることはありません。日本では古来から衣装収納用の家具の素材としては、湿気を吸収しやすく燃えにくい桐の木が最高級とされています。新品家具での価格は非常に高価であるものの、何度も削り直して新品同様に修理リサイクル・リフォーム可能なため、自分の子供や孫の代になっても長期間使用することができる家具です。kのため、リサイクルショップにおいても高価で買取されている家具といえます。

リサイクルショップでデザイナーズ家具等の高価買取

 日本では、古来から結婚に際して新婦が嫁入り道具を持参する伝統がありました。最近ではこうした伝統も薄れつつあるものの、その最も代表的な持参品が家具です。日本の家具は木で作られたものが大部分を占めてます。上質な家具については木材で作られていますが、安物の家具については、合板やMDFといった素材で製作されています。また、最近では、加工をしやすいことから、家具専門デザイナーが制作した優れた金属製の家具も増えてきています。こうしたデザイナーズ家具やアンティーク家具については、リサイクルショップにおいても高価買取されています。また、1995年の阪神・淡路大震災では、倒れた家具の下敷きになった死傷者が多かったことから、家具を壁や床に金具で固定したり、家具と天井の間で棒をつっぱらせたりして家具を固定することが地震対策としてかなり広まりました。

リサイクルショップでも人気の収納家具の高価買取

 リサイクルショップでも人気のある収納家具とは、家具の中でも家財道具や服飾品、食品などを整理して収納するための家具で、形は箱型で収納を基本の目的としています。しかし、収納家具の中には、収納物を展示・陳列する部屋の飾り棚としての機能を持たせている家具もあります。収納家具は、リサイクルショップでも人気があるので、比較的高価買取されているという実態があります。

リサイクルショップの箪笥類の収納家具の高価買取

 リサイクルショップで高価買取する箪笥類の収納家具には、衣装箪笥(和箪笥、洋服箪笥)や茶箪笥などがあります。これらの収納家具は、衣類や小物を保管する家具で、引き出しや開き戸を持ち、収納物を埃や害虫などから防ぐ工夫がされています。箪笥類の収納家具は、リサイクルショップでも買取ってもらうことができます。

リサイクルショップの棚類の収納家具の高価買取

 リサイクルショップで高価買取する棚類の収納家具には、本棚、戸棚、食器棚、下駄箱などがあります。これらの収納家具は、水平な板である棚板を適度な間隔で上下方向に複数枚張ることで荷物を置く事ができる面積を拡大し、少ない設置面積で多量の荷物を収納できるように工夫した家具となっています。棚類の収納家具は、リサイクルショップでも買取ってもらうことができます。

リサイクルショップの伝統的な収納家具の高価買取

 リサイクルショップで高価買取する日本の伝統的な収納家具としては、葛籠(つづら)、行李(こうり)、階段箪笥、船箪笥などがあり、旧家などでは現在でも現役の家具として使われているケースもあります。また、リサイクルショップではアンティーク家具の位置づけとして、高価で買取ってもらえるお店もあります。

リサイクルショップで空間創造家具の高価買取

 家具の中でもいわゆる空間創造家具は、リサイクルショップにおいても需要は高く、比較的高価買取されている家具です。空間創造家具とは、家庭の部屋中で一定目的の空間を床面から切り離して、床より高い位置に機能を確保することを目的として製作された家具のことです。日本では、家の中に入る際には必ず履物を脱ぐことによって、家の外と部屋を分離する文化が根付いています。しかし、玄関で靴を脱ぐ習慣のない欧米などでは、家の中といっても、土足で歩く部屋の床面は地面の延長線と考えられています。このため、家の中の床面に直接座ることは地面に座ることになるので、床面から一定の高さを持った空間創造家具が利用されています。

リサイクルショップで作業用家具の高価買取

 また、部屋の中で何かの作業を行う場合、床面から一定の高さにあったほうが作業効率がよいので、一定の高さに作業空間を作り出す家具が生まれてきました。このために、空間創造家具が制作されており、空間創造家具のほとんどは、長い脚の上に一定の広さを持った水平面を持つ形態が特徴の家具です。こうしたことから、空間創造家具は日常的に使用されることが多いので、リサイクルショップにおいても回転が速く、そのため高価買取されています。

リサイクルショップの椅子類の空間創造家具の高価買取

 リサイクルショップで高価買取される空間創造家具には、椅子類の家具があります。この家具には、椅子、ソファー、座椅子などがあり、人が座る空間を作り出すための家具です。

リサイクルショップの机類の空間創造家具の高価買取

 リサイクルショップで高価買取される空間創造家具には、机類の家具があります。この家具には、机、テーブル、座卓、箱膳(一人膳)、電話台などがあり、各種の用途に用いる台として執筆作業や食事などの使用空間を確保して、各種作業が効率よく行える高さを作り出すための家具です。

リサイクルショップの寝具の空間創造家具の高価買取

 リサイクルショップで高価買取される空間創造家具には、寝具の家具があります。この家具には、ベッドが該当し、人が寝る空間を確保するための家具です。

リサイクルショップの垂直方向の空間創造家具の高価買取

 リサイクルショップで高価買取される空間創造家具として、これらの家具は水平方向の空間を創造するために使用される家具ですが、衝立など垂直方向に空間を仕切り、視覚的・心理的にある空間を隠したり、装飾に使用する家具もあります。例えば、衝立、間仕切り(パーティション)、屏風といった家具があります。

リサイクルショップで高価買取される高級家具の産地

 リサイクルショップ高価買取される家具は、合板でできた安物の家具ではなく、基本的には本格的なつくりの高級家具です。こうした日本の高級家具の多くは良質な木で製造されているため、国内の代表的な家具産地のほとんどは木材の産地と重なっています。

リサイクルショップで高価買取される旭川家具(北海道旭川市)

 北海道旭川市の旭川家具は、リサイクルショップで高価買取される高級家具の一つです。旭川家具の黎明期は、数多くの北海道開拓者の移住に合わせて、それらの人々に生活用具である家具を提供するため、明治時代末期に本州から多くの大工や家具職人が現在の旭川市周辺に移住したのが始まりです。旭川家具は、北海道の豊富な森林資源を旭川家具製造の背景としています。第二次世界大戦後、木材の機械乾燥の普及によって、家具の材料の品質が安定したのを契機とし、日本を代表する大規模な家具産地へと発展しました。現在、旭川家具は、アメリカ・ヨーロッパを始めとする諸外国でも高い評価を受けており、デザイン性を重視した大型の洋風家具の製造が主となっています。

リサイクルショップで高価買取される静岡家具(静岡県)

 静岡家具も、リサイクルショップで高価買取される高級家具の一つです。静岡家具の黎明期は、かつて徳川家光が静岡浅間神社の大造営を行った際に、各地から静岡県に移住してきた家具職人が始まりです。現代においても、静岡県内には、静岡市を始めとして、島田市、焼津市、藤枝市、岡部町、大井川町を中心に、静岡県内には多くの家具製造会社があります。静岡家具の大きな特徴としては、漆塗りの技法を生かした鏡台や、茶箪笥の産地として古くから知られています。現在では、これらの家具に加えて、高級家具の代名詞でもある桐箪笥の産地でもあり、このほか、唐木仏壇の家具の産地としても有名です。

リサイクルショップで高価買取される飛騨家具(岐阜県高山市)

 岐阜県高山市で製造される飛騨家具も、町のリサイクルショップで高価買取される高級家具の一つです。飛騨家具の黎明期は、飛騨地方の豊富に存在するブナ材の有効活用を目指して、大正時代に地元の有志が出資して家具会社の中央木工株式会社を設立したのが始まりです。飛騨家具の製品としては、曲げわっぱの技法による曲げ木加工で椅子を製造したことに始まり、飛騨家具独特の技法を生かした椅子やテーブル、机などの脚を持った家具を得意としています。

リサイクルショップで高価買取される府中家具(広島県府中市)

 広島県府中市で製造される府中家具も、地域のリサイクルショップで高価買取される高級家具の一つです。府中家具の始まりは、1710年前後に、内山円三が大阪で箪笥の製造技術を習得し、郷里の広島県府中市に戻って家具の製造をしたのが最初といわれています。第二次世界大戦後、婚礼家具セットといって、和・洋・整の家具のセット販売を日本で初めて行うなど、家具の販売面での工夫も知られています。現在も、府中家具は箪笥を初めとした収納家具を得意としています。

リサイクルショップで高価買取される徳島家具(徳島県徳島市)

 徳島県徳島市で製造される府中家具も、家具を取り扱っているリサイクルショップで高価買取される高級家具の一つといえます。徳島家具の始まりは、明治時代の初期に、阿波藩の船大工だった職人たちが、船に見切りをつけて家具の製造を始めたことによります。明治中期になると、徳島家具の鏡台が関西地区で大好評となり、阿波鏡台の名で全国的に知られるようになりました。徳島家具は、現在は高級唐木仏壇の家具の製造地としても知られています。

リサイクルショップで高価買取される大川家具(福岡県大川市)

 福岡県大川市で製造される大川家具も日本を代表する家具であり、家具を取り扱っているリサイクルショップで高価買取される高級家具でもあります。大川家具の始まりは、福岡県大川市周辺となる筑後川周辺に居住していた船大工が製造していた箱物の家具が元祖といわれています。この家具の製造は、古くは室町時代まで遡ることができるといわれるほどの長くて古い歴史を持っています。もっとも、現在の大川家具の基礎ともいうべきものを作り上げた人物は、江戸時代後期に長崎で家具製作の修行をして、細工技法を持ち帰った田ノ上嘉作といわれています。現在は福岡県大川市では、量産家具の製造会社が多く、ありとあらゆる種類の家具を製造して全国に出荷しており、家具生産高では日本一を誇っています。

リサイクルショップで高価買取される大川家具の産地

 リサイクルショップ高価買取されている家具の一つが大川家具です。今ではリサイクルショップでも取り揃えられるなど有名になった大川家具の起源は、室町時代の後期にまで遡ります。大川家具の開祖といわれている榎津久米之介が船大工の技術を生かして、天文5年(1536年)に指物(さしもの)を始めたことが「榎津指物」の起源とされていますが、大川において家具作りが主流になるにはまだまだ時間がかかりました。

高価買取される大川家具の始まり

 室町幕府十二代将軍・足利義晴の家臣、榎津遠江守の弟の榎津久米之介は、大川市榎津本町の願蓮寺に残る古文書によると、彼は兄の死後、天文4年(1535年)に出家しました。翌、天文5年(1536年)に一寺を建立し、「願蓮寺」と名づけました。久米之介は、家臣の生活の糧のために、船大工の技術を生かし、指物(家具)を作らせ、これが榎津指物家具の起源とされています。彼は天正10年(1582年)に96歳で死去しましたが、その後においても、家臣は家具作りの工商を続け、榎津久米之介の精神を受け継いでいきました。

高価買取される大川家具の江戸時代後期

 その後において、大川家具の中興の祖といわれているのが田ノ上嘉作です。文化9年(1812年)に榎津長町に生まれた田ノ上嘉作は、家大工の傍ら建具や家具製作に携わっていました。大阪で指物家具の修行を行った優秀な家具細工人が久留米にいると聞き、すぐに弟子入りをしました。ここで箱物の製作を修得して榎津に戻り、作り始めた家具が榎津箱物家具の始まりといわれています。その後、大川家具の榎津箱物家具は、息子の儀助に、さらには、その息子の小平次に受け継がれていき大川家具としての発展を遂げます。大川指物家具とは、釘をまったく使用せずに、板と棒、棒と棒を使い、木に穴や切りこみを入れ、差し合わせて組み合わせて作ったタンス、箱物、机の家具ことをいいます。

高価買取される大川家具の明治時代

 現在の大川家具の独特のデザインや機能に繋がる衣裳箪笥のような家具が生まれたのは、明治10年頃になります。大川家具は非常に大型の家具であり、その材質は杉・桐・欅の木を使用し、素木・透漆・黒塗などで仕上げるのが大きな特徴の家具といえます。また、箪笥家具の金具には、当時から鉄・銅・真鍮などを使い、職人の手作業によって薄いタガネによる細かな透彫りを一つずつ付けるという手法も大川家具独特の製作手法でした。当時、一つの箪笥家具が完成するには、その工程として、1木挽きによる製材、2金具製造、3塗装技術、4木工職という4つの高度な工程を経る家具技術を持った業種の異なった職人による技術が必要であり、その4つの家具技術の粋を集めた家具が大川榎津箪笥でした。

高価買取される大川家具の大川木工家具の発展

 明治22年(1889)になると、町村合併によって大川町が誕生し、大川家具にかかわる木工家具関係者が町全体の四分の一までを占めるほどに膨れ上がりました。この大川家具発展の要因としては、塗装方法の向上や木工機械の進歩などの技術の発展に加えて、家具材料の木材が近隣で確保できたことと、大川家具製品の販売先が大きく拡大したことがあげられます。

高価買取される大川家具の木工業

 明治時代にもなると、大川家具の製造に最新の技術が導入され、さらには、新しい意匠を加えた精巧な家具が生産されるようになり、大川の町も家具産地の町として全国に名を知られるまでになりました。 この時期に家具の同業組合立である「大川工業講習所」が開設されました。

高価買取される大川家具の大正時代

 大正時代に入り、この辺りでは大川鉄道が敷設され、大川家具の販路が拡大されることになります。第1次世界大戦時とその直後は全国的に好景気となり、大川の家具工業もその例にもれず、好景気の波が押し寄せました。しかし、大正9年になると、大川家具にも戦後の恐慌が押し寄せ、日が経つごとに家具の不況の度を増していきます。しかし、こんな状況下にあっても、大川家具の業者は努力を重ねることによって、大川家具の品質の向上に努め、不況の打破を試みます。このため、大川家具の家具業者数、家具従業員数、家具生産高ともに好調な成長を続けました。また、この頃、大川家具の家具組合では各地で開催される家具博覧会・家具共進会・家具品評会といったものに対して、大川家具の指物の真価を周知させ、家具販路を拡張するという目的で、主な家具業者の代表的な家具作品の出品を積極的に進め、大川の家具の宣伝に尽力しました。その結果、近隣市町村に大川家具の家具販路が広がるという成果を挙げることができました。大正期には、大川の家具工業では、増大する家具需要に応えるべく、木工家具の製作機械の導入が積極的に進められます。その背景には、好景気による家具需要の急増に対する家具職人の不足もあげることができます。榎津で家具問屋を営んでいた松本由太郎は、大正8年に京都大学工学部武田教授の指導を受け、家具製作の機械化を実践に取組み、大正11年には家具工場を完成させました。導入された家具製作の機械は「鋸・帯鋸・カッター・手押鉋・自動鉋・自動角のみ盤」などで、当時の技術として飛躍的に家具生産力を向上させるものでした。

高価買取される大川家具の昭和初期

 その後、日中戦争の開始に伴い、大川家具の生産が中断されることになります。引き続き、第二次世界大戦の敗戦による物資不足が大川家具の木工家具関係者に打撃を与えることになりますが、大川家具の家具関係者の努力によって、再び木工家具産地として復活し、家具づくりを再開しました。大川家具は国から「重要木工集団地」の指定を受けるとともに、大川家具に寄与した榎津久米之介の400年忌を期して「第1回大川木工祭(昭和29年から「木工まつり」となる)」が開催されました。

高価買取される大川家具の家具製造の機械化

 昭和20年になって第二次世界大戦が終了すると、戦災で家をなくした人々からの家具需要が急激に高まることになり、これにこたえる大川家具の家具工業は急速な発展を遂げます。昭和24年になると、国から家具生産団地としての「重要木工集団産地」の指定を受けます。この頃から大川家具の家具ツキ板工場ができ、家具用の木材の乾燥機が導入されるなど、家具製作の機械化が一気に進んでいきます。大川家具の製造過程においては、「カッター・手押しかんな・自動かんな・角のみ」の4種類の家具工作機械が多く使用され、「一式」と呼ばれていました。これらは、それまでの「のこぎり・かんな・のみ」での家具作りの作業と比べると、約半分の時間での家具生産を可能にしました。夜明けダム建設の年、筑後川の上流の家具木材を運んだいかだ流しが終了し、家具木材は鉄道輸送をへて大型トラックの輸送へと変わっていきました。

高価買取される大川家具の注目

 大川家具は「第1回全国優良家具展」へ出品することによって、家具産地として全国の注目を集めることになりました。大川家具は「西日本物産展」にも出店し、河内諒デザインの和ダンスが最高賞を受賞しました。これは、その後世に知られることになる大川家具調の「引き手なしたんす」でした。工業デザイナーの河内諒は、戦後、大川家具の近代化に大きな功績を残した人物です。当時、熊本産業試験場長をしていた河内氏は昭和26年から大川に定住し、家具デザインや塗装方法など、家具作りの技術指導や助言を行い、家具デザインのシンプル化と家具機能性を深く追求しました。また、当時の大川家具の業界においても「創美会」など家具の研究グループを作り、熱心な家具の研究や改善が続けられ、その結果、近代的センスにあふれた大川家具へ脱皮することができました。この時に生み出されたのが「引き手なしたんす」です。「引き手なしたんす」はその都会的なセンスから、大川を代表する家具として名声を広める家具となりました。

高価買取される大川家具の全国への進出

 昭和28年に大阪で開催された「筑後物産展」では、新しいデザインの大川家具を発表しました。これが好評を得ることとなり、京阪神地区への大川家具の販売の足掛かりがつくられました。また、河内デザイナーが東京の友人の協力を得て「大倉商会」との契約を結ぶと同時に、地元にも「大倉会」を発足させることによって、東京との大川家具の取引が始まりました。この時期、大川家具は全国的な進出を遂げました。昭和30年になると、東京で開催された「第1回全国優良家具展」にも出品し、モダンな家具デザインで全国に「家具の町大川」の名を広め、今日の大川家具の基礎を築くことになりました。この大川家具の市場開拓により、大川地区では、家具生産者の家具取引グループ化による家具組織づくりが進み、家具メーカーで組織する「協同組合大川家具工業会」を発足させました。

高価買取される大川家具の躍進

 昭和30年代後半にもなると、家具に使用する木材の変革と、さらに新しくなった木工家具機械の技術的進歩によって、大きく家具生産の近代化が進み、家具の量産ができるようになり、大川家具は大きな飛躍をとげました。この時期は高度成長期にも重なり、大川地区を中心に1100もの家具事業所が年間生産額70億円をあげ、一大家具産地を形成ていましした。この時期に家具の展示会場を備えた「大川産業会館」が建設されました。

大川家具が家具の一大産地へ

 この大川産業会館は新作家具の発表会場や家具販売の大拠点として、その後の大川家具の繁栄に大きく貢献しました。現在では年4回の大川家具展示会の他、数多くの家具展示会が開催され、全国から約3000社にも及ぶ家具販売会社がその都度来場しています。大川家具は、戦後のベビーブームによる急激な結婚や新築のラッシュによる家具のニーズにこたえることによって日本一の家具産地となりました。

リサイクルショップで高価買取される大川家具の総桐箪笥

 リサイクルショップ高価買取されている家具の一つが大川家具の総桐箪笥です。また、大川家具の総桐箪笥は、リサイクルショップで家具の中では高価なものの、新品時の値段と比べると格安販売されています。

高価買取される大川家具の総桐箪笥の板使い

 リサイクルショップで高価買取される総桐箪笥の家具を制作するには、まず、製材された桐板を2年ほど雨に打たせてアクを抜き、家具としての板の木目と素性を見極めて板選びをします。総桐箪笥の家具職人の頭の中では、既にこの板は桐箪笥の家具の何処にくるか決まっています。次に、総桐箪笥の家具の木取りの前に、曲がった板に焼きを入れて真直ぐにしていきます。桐の板厚を家具づくりで無駄にしないという、貴重な家具材を大切にする先人の知恵が生きています。大川家具の総桐箪笥の板矧ぎは、長台でかねくちを合わせて、総桐箪笥の家具の前板には目が詰まった柾目合わせ、総桐箪笥の家具の側板には板目に板目を抱き合わせ、家具が美しく見えるように板を剥いでいきます。

高価買取される大川家具の総桐箪笥のホゾ組合せ

 大川家具の総桐箪笥のホゾ組合せは、柔らかい桐の場合、鑿は押すのではなく刺身を切るように刻んでいきます。総桐箪笥の家具は家具の木材選びから組立てまでを一人の家具職人が仕上げていきます。総桐箪笥の家具の刻みの道具も、それぞれの総桐箪笥の家具職人が自分で手入れした家具の道具を使います。大川家具の総桐箪笥の家具の本体組立ては、大きな総桐箪笥の家具も自分の作業台で一人で家具職人が組立てていきます。さまざまな接取加工された総桐箪笥の家具の部材が、竹クギや木クギで組立てられていき、総桐箪笥の家具が美しく仕上げるために家具職人は手間を惜しみません。大川家具の総桐箪笥の家具の抽斗組立ては、柔らかい桐材に適した包蟻組みで家具の抽斗が組立てられます。総桐箪笥の家具の本体に隙間なく納まるように、一つ一つ鉋で0.01mm単位の調整をしていきます。

高価買取される大川家具の総桐箪笥の仕上げの違い

 大川家具の総桐箪笥の仕上げに使用するヤシャブシは、夜叉倍子の実をコーヒー色になるまで長時間煮た煮汁を使います。ヤシャブシを塗った総桐箪笥び家具は長年の間にそれこそ渋い味がでてくるのが大きな特徴です。大川家具の総桐箪笥の家具の塗りとしては、総桐箪笥の家具の表面をヤケ防止と美しい仕上げのために、ヤシャブシにとの粉を混ぜたものを刷毛に絞りながら総桐箪笥の家具に数回重ね塗りを行います。家具がよく乾いたら、カルカヤの根を束ねたうずくりで、総桐箪笥の家具の木目に沿って目立てを行います。大川家具の総桐箪笥の家具の金具付けとして、最後に家具の前飾り、丸環、錠等を取りつけます。桐箪笥の家具金具は、民芸金具のような無骨なものではなく、大名道具に付けられていた優美で手が込んだ美術工芸的金具を総桐箪笥の家具に使用しています。

リサイクルショップで高価買取される徳島家具

 リサイクルショップ高価買取されている家具の一つが徳島家具です。また、徳島家具は、リサイクルショップで家具の中では高価なものの、新品時の値段と比べると格安で販売されています。徳島家具で有名な徳島県徳島市は、四国三郎の異名を持つ吉野川の河口部に形成されたデルタ地帯に発達した地域です。徳島市は地勢上、東は瀬戸内海・紀伊水道に面し、材木・檜・榑等の林産物が大量に積みだされ、既に木材や木材加工品の産地でした。徳島市が、家具産地として発達してきた背景には、こうした林産物が豊富な地域であったことや、江戸時代に城下町だったことがあげられます。天正13年、阿波に入国した蜂須賀家政公は、新町川河口部の城山(徳島市城山)に城を築き、藩経営にとって重要な水軍基地を福島に置き、そこに約200人の船大工を住まわせ、軍船の造船や修理に当たらせていました。

高価買取される徳島家具の明治時代

 明治4年、廃藩によって船大工等は職を離れましたが、その中でも自らが持つ高度な木工技術を活かして、安宅物家具の日用家具やタンス・針箱製作のほか、雨戸や障子等の建具・桐下駄など家具の製作を本業とする家具職人が出てきました。家具の生産体制が整ったのは、明治中期~末期といわれていますが、明治20年代には鏡台が既に大阪の問屋筋から家具の木地等の注文を受けていました。その後、明治の末には家具の完成品も製造するようになり、鏡台家具産地としての態勢が整い、阿波箪笥家具もこの頃には、家具専業者が10戸までに達していました。家具の製造は、徳島市の渭東地区が県内向けの家具、那賀郡中島地区は県外市場向けの家具を主に扱ってきました。

高価買取される徳島家具の戦後

 戦後間もなく、洋家具の製造が官庁からの注文や京阪神方面からの引合いが殺到し、徳島市における家具製造事業が拡大されてきました。阿波仏壇家具の製造も、戦前に徳島市を中心に製造が始まり、戦後、黒檀・紫檀・タガヤサン等の輸入材を使って家具製造に発展してきました。その後、高度成長時代の幕が開けると、大量消費の時代に入り、徳島家具はこの時代に飛躍的発展しました。その中でも、婚礼家具としての鏡台は、木地・杢張・塗装・仕上げ加工という生産の分業体制で家具製作の効率化を図ることによって、鏡台家具産地として全国に名をはせました。同時に徳島家具では、仏壇家具も出荷額を伸ばし、全国一の家具産地に成長していきます。昭和33年には徳島市が家具産地振興のため、徳島市立工芸指導所を設置します。その所長にはデザイナー兼木工技術者であった下田俊夫氏を登用し、家具のデザイン指導・技術指導を強化したことや、徳島県工業試験場の指導等が徳島家具の産地としての発展に大きく寄与しました。昭和34年には、徳島家具の協同組合の連合会が結成されました。

高価買取される徳島家具の昭和40年代

 昭和49年・54年と2度にオイルショックに襲われることによって日本経済は減速し、低成長時代を迎えました。国民の価値基準は多様化し、消費市場はモノ余り・モノ離れ現象がみられ、企業は多品種少量の生産体制への移行が求められました。徳島家具も、経済的要因からくる住宅着工件数の減少や、社会的要因からくる婚姻件数の減少によって家具製造に大きな打撃を受けました。また、高度成長時代に本来取り組むべきであった家具生産設備の近代化に遅れをとり、住工混在による家具生産効率の低下等が大きな課題となり、徳島家具の不遇の時代を迎えます。

高価買取される徳島家具の昭和50年代

 家具市場が成熟化する中で、徳島家具を取り巻く環境としても、量から質、モノから心への時代の変化に対応し、消費者のライフスタイルや生活シーンに合わせた高級家具、トータルにデザインされた家具、組合わせによるコーディネト家具等が求められるようになりました。この当時は、異業種メーカーによる住宅設備に組み込まれる収納家具類は、毎年大幅な伸びを続けてきましたが、一般家具の全国出荷額は、昭和50年以降伸び悩んでいました。家具の商品力の違いや販路拡大の力の違いによる企業間格差が拡大するなど、家具産地間における競争がますます激化してきました。徳島市では、大きな地場産業である家具製造の健全な発展育成を図るため、昭和54年に(財)徳島市地場産業振興協会を設立しました。昭和57年には工芸指導所に代わり、木工会館を建設して家具製造の指導・支援体制の充実・強化を図りました。

高価買取される徳島家具の昭和60年以降

 昭和60年には通産省が、家具等の生活関連産業を高感度、かつ高品質でトータルシステム的な家具商品を提供する生活文化型産業に転換する方針を示しました。これは、21世紀に向けて、家具製造が成長産業へと発展することを期待し、すべての経営資源の革新の必要性を示唆されるところとなりました。徳島市もこの方向を目指して、徳島家具産地の構造改革の一つとして、昭和63年に、第三セクターによる徳島家具デザイン企画会社(株)アワードを設立しました。引き続き、平成2年には、徳島家具産地内企業のCAD/CAM化等を促進するため、通産省のNMC構想に基づいた(株)ニューメディア徳島を設立しました。さらに、徳島県においては、徳島県工業試験場に代わる工業技術センターを平成3年に完成させ、平成5年には徳島市沖洲沖の41.5haを埋立てた徳島家具産業団地が完成しました。 また、徳島家具として時代の流れやニーズに対して更に柔軟に対処するために、これまでの徳島家具組合組織を、徳島家具の販売を主とする協同組合TFI(トクシマ・ファニチャー・インダストリーズ)と、徳島家具の生産を主とする協同組合TIP(トクシマ・インテリア・プロダクツ)に再編成し、これを徳島家具発展の両輪として、徳島県木竹工業(協)連合会の活動を方向づけるとともに、徳島家具産地内企業・関係機関・団体が一体となって取り組んでいます。

リサイクルショップで高価買取される府中家具

 リサイクルショップ高価買取されている家具の一つが府中家具です。また、府中家具は、リサイクルショップで家具の中では高価なものの、新品時の値段と比べると格安で販売されています。府中家具の家具の産地である広島県府中市は、人口4万6千人程度の小さな市です。府中市では古くから家具製造業が栄えており、現在においても府中市内には、家具メーカー、家具部品加工業者、家具資材業者など家具製造に係わる業者が250社程度も集まっており、地場産業としての家具産業を形成しています。これまで府中家具は、洋服タンスや整理タンスなどの収納家具の産地として有名ですが、近年では、府中家具は造り付家具やキッチン、内装ドアなど室内の木製品全般を手掛けるまでに成長しており、現在の府中家具は総合インテリアとしての産地を目指しています。府中家具組合では、家具バイヤー向けの府中家具の新作家具展示会を毎年春・秋の年2回開催しています。府中家具フェスタが開催される会場となる府中家具協同会館には、展示会に参加している約20社の府中家具メーカーから1,200点余りの新作府中家具が勢揃いしています。

高価買取される府中家具の歴史

 現代のリサイクルショップでも人気がある府中家具の製造が始まったのは、当時の古文書によると「宝永年間に内山円三が大坂で箪笥家具の製法を習得し、帰郷後製作に着手したのが始まり」と書かれています。府中では大正の頃になると府中家具を製作する家具職人の数も増えており、現在の府中市の鵜飼町辺りでは、当時、百数十軒もの家具職人の手による朝早くから夜更けまで、家具作りのノミやカンナを使う音が絶えなかったといいます。第二次世界大戦後、府中では他の家具産地に先駆けて婚礼家具セットの府中家具を提供するとともに、全国家具コンクールで連続してトップ賞を獲得するなど常に家具コンクールで上位入賞を果たしていました。その結果、府中家具は高級家具の産地として、現在、婚礼家具セットにおいては、質・量ともに日本一の家具生産量を誇っています。

高価買取される府中家具は全国有数の収納家具の産地

 府中家具としては、ブライダル家具セットが特に全国的に有名です。しかし、府中家具では、これ以外の家具として、書斎用家具、食器棚、リビング家具、座いす、ベッド、システムキッチン、特注家具など数多くの家具を家具職人が製造しています。各府中家具の製造会社では、ほとんどが家具の高級品の製造を手掛けており、家具の素材・技術・仕上げなど全ての分野において満足のいくのが府中家具といえます。

高価買取される府中家具の材木

 府中家具の基本的な考え方としては、真に良い家具は良質の銘木から生まれると考えています。このため、府中の家具製作はは、家具材となる原木を選定することから始まります。木の素材の持味を家具製作に最大限に生かすとともに、原木を長期間にわたって天然乾燥を行うなど家具としての反りや狂いができにくいよう木材をしっかりと寝かせ、落ち着かせてから家具として加工しています。府中家具のもう一つの基本的な考え方としては、家具は一生ものと考えています。家庭内で毎日使っていて、すぐガタがくるような家具では困ります。府中の家具には、決してぐらついたりガタが来ないような技法を持って家具を製作するという、創設期から連綿と受け継がれてきた家具職人たちの技が家具の隅々に生きているのです。例えば、家具の引出しの接合部には蟻組みを使うなど、随所に府中家具の伝統的な技法を取り入れており、府中家具をいつまでも長く使用できるように製造しています。いつまでも使いやすい家具で、愛着をもてる家具であるようにというのが府中家具の考え方です。

高価買取される府中家具の塗装仕上

 府中家具の塗装仕上げの特徴としては、木材が本来有している木目の風合いや深みをかもしだし、家具の木味を引き立たせるような方法で行っています。それに加えて、家具の塗装には、できあがった家具の傷や変色などを長期間にわたって防ぐ役目もあります。府中の各家具の企業は互いに塗装の技を長年にわたって競い合って来た結果、現在では非常に高い家具塗装技術が自慢でもあります。また、府中家具の細部に至るまで洗練された家具のデザインも見逃せないものがあります。府中家具は、そこにあるだけで心地よさを感じ、人と長くつきあえる家具づくりを行うことが府中家具の考え方です。

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